ブランド買取のOKURA(おお蔵)トップ コラム ファッションブランドの始祖GUCCI~日本出店までの歴史~ | OKURA(おお蔵)
コラム

GUCCIといえばどんな印象をもたれていますか??

シンプル、カジュアル、エレガントなど人それぞれもつ印象が違うかと思われます。それもそのはず。それだけ多くのシーンで使うことのできるアイテムがGUCCIには揃っているのです。ではなぜそれだけ多岐にわたるデザインの商品が展開されているのか。その秘密は創設者グッチオ・グッチの生涯とGUCCIの歴史を追っていくとわかるかもしれません。

 


ホテルマンから高級皮革製品店の創設者へ

1881年 グッチオ・グッチはイタリア共和国トスカーナ州のフィレンツェにある零細帽子製造会社を経営するガブリエロ・グッチの息子として誕生します。フィレンツェで生まれ育ったグッチオはロンドンで一旗揚げる決心をし、ロンドンへと向かいます。その道中は蒸気船の期間助手として働いており、グッチオがロンドンにたどり着いたのは1989年のことでした。

ロンドンへたどり着いたグッチオは最大級の労働者としてではありましたが、ロンドン最高級ホテルのサヴォイ・ホテルで働き始めます。皿洗いから始まったホテルマンとしての生活もやがて1階のウェイターに出世します。最下級労働者としての勤務でお給料も低賃金ではありましたが、王侯貴族御用達のホテルであったのでチップには不自由することはありませんでした。また王侯貴族の言動を間近で見て、感じることで物への考え方や持ち物に対する考え方を学んだ彼は「原価は何の意味を持たない。むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することへの価値も高くなる」という考えを得たそうです。ロンドンで多くのことを学び、経験を得たグッチオは1901年に11年間過ごしたロンドンを立ち、生まれ故郷フィレンツェへと帰郷しました。

帰郷後はいくつかの商店で働いていましたが、1914年に第一次世界大戦がはじまり、グッチオも徴兵されます。1919年第一次世界大戦終戦後にフィレンツェへ帰還。その後高級レザーグッズ店「フランツィ」で働き、皮革の扱い方を習得しました。そして1921年皮革製品を扱う会社を設立、1922年にフィレンツェのパリネオ通りに自分の店を開き、1923年に現在のブランド名である「GUCCI」の店名を掲げたお店をオープンさせました。

オープン当初グッチが主に扱ったのはイギリスから輸入したかばん、そしてその修理でした。その修理を行う過程でバッグの壊れやすい箇所や、そこをどう作れば耐久度があがるのかなど作り方の研究ができ、丈夫で使いやすいかばんを作るための術を学ぶことができました。そしてロンドンでグッチオがホテルマンとして従事し学び経験した感性と、イギリスから輸入したかばんから得た感性を反映したGUCCIオリジナルの旅行鞄や馬具をはじめとした皮革製品をトスカーナ選りすぐりの職人たちの手で作り出していったのです。

当時のグッチの製品は、乗馬の世界をモチーフとしたトランク、かばん、手袋、ベルト、靴などのコレクションが国内外の洗練された顧客たちの注目をオープンからほどなくして集めるようになりました。乗馬の世界をモチーフにしているデザイン、その中でもクリップやスティラップが持ち込まれたデザインが人々の印象に残りグッチはモード店としての象徴となり、そのデザインたちは革新的なものへと成長を遂げていくことになりました。「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のより良いものを現代に反映させる商品づくり」をコンセプトにものづくりをしていたグッチはダブルGのモノグラムでおなじみの「GG」は品質保証の証として世界で初めてグッチオグッチのイニシャルを商品のデザインとして取り入れました。そしてそのコンセプトが支持され1938年に新たな店舗をオープンさせました。

 

戦争とブランド品の関係性

しかし1939年に始まった第二次世界大戦で他のブランドと同様でグッチも戦争による物資不足に直面します。創業当初は職人手作りの皮革製品を取り扱っていたグッチですが、1940年代にはファシスト政権下の閉鎖経済政策による物資不足、牛革が統制品となり手に入らなくなってしまします。そこで代用品として使用していたのが布をコーティングしてできた「キャンバス生地」です。この生地の配色や高級感あふれる仕上がりが人気を博し、グッチは戦時中も人気を呼ぶこととなります。

第二次世界大戦終戦後の経済統制により牛革の使用を従来よりも減らしたデザインのバッグを考案できないかと考えたグッチオは取っ手を牛革ではなく竹を使用した「バンブーバッグ」を発表。このバッグはグッチを象徴する様々な商品の先駆け的存在となり、今でも多くのセレブリティに支持されています。

1950年代にはまたグッチと言えばこれ!と思い浮かべる方も多い緑、赤、緑のラインが入ったリボンが新たに登場。GGに続きブランドを象徴するものとして親しまれるようになります。その後ニューヨーク、ミラノに店舗網を広げるようになると、「エレガンスと洗練」がグッチというブランドを象徴する存在となっていくのでした。

 

グッチを世界へ

そんなグッチにさらなる好機が訪れます。映画界の仕事をしていたグッチオの息子が映画の小道具にグッチの製品を使用すると、その商品が話題を呼び、たちまち女性たちの間で人気を博し、話題を呼びました。ジャクリーヌケネディ、エリザベステーラー、オードリーヘップバーンら世界のセレブ御用達のブランドになったのです。

グッチが世界中から認められ、求められるブランドへと進化を続ける中、創業者グッチオ・グッチは1953年の夏、72歳の生涯の幕を下ろすこととなります。

その後、グッチオの息子たちは父の事業を引き継ぎ、成長させていきました。しかしその間で長きにわたる血族間闘争が続きます。そんな中でも1964年には東京 銀座・みゆき通りに日本一号店がオープンしました。

当初グッチは同系列にサンローランボッテガヴェネタバレンシアガ、セルジオロッシ、プーマなどの「グッチグループ」としてこれらの系列各社を代表するブランドだったが、1990年代グッチ家のお家騒動や外資への買収に翻弄され、フランスの大手流通企業であるPPRの保有会社になり、グッチ家はグッチの経営から次第に手を引いていきました。その後PPRグループの100%子会社になったことや、系列会社を含めたPPRラグジュアリーグループへの所属、2013年の社名変更により「ケリングループ」の構成企業となり、それに伴い今やだれもが知る下記のデザイナーへとグッチのコンセプトは引き継がれることとなっていきました。

・1989年ドーン・メロー氏がグッチ社社長兼クリエイティブディレクターに就任

・1990年 トム・フォード氏がレディースウェアのデザイナーに就任。来る1994年には同氏がクリエイティブディレクターに就任。その10年後の2004年トム・フォード氏が辞任。

・2004年 メンズウェアのデザイナーにジョン・レイ、レディースウェアのデザイナーにアレッサンドラ・ファキネッティが就任。

・2005年 レディースウェアのデザイナーにフリーダ・ジャンニーニが就任。

・2006年 ジョン・レイが辞任。当時のレディースウェアのデザイナーであるフリーダ・ジャンニーニがメンズウェアのデザイナーも兼任する。

・2015年 アレッサンド・ミケーレがクリエイティブディレクターに就任し、現在に至る。

 


 

いかがだったでしょうか。グッチのデザインにはグッチオがホテルマン時代に学び、経験したことや、「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のより良いものを現代に反映させる商品づくり」のコンセプトが深く根付き、今でもそのコンセプトが引き継がれているように思えます。

当社でもGUCCIのバッグをはじめ、時計ジュエリーアパレル商品をお取り扱いしております。各文字のリンクからOKURA楽天市場店内GUCCI商品一覧ページに移動できますのでぜひご覧くださいませ。GUCCIの買取実績についてはこちらからご確認ください。

 

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