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ドイツ時計産業の発展
ドイツ時計産業の発展
2021年11月01日

みなさんこんにちは、当社コラムをご覧頂き誠に有難う御座います。

世界各国には様々な時計産業が興り、特にスイス連邦は抜きんでた生産量と高品質な時計やものつくりに発展していきました。

また日本ではSEIKOをはじめCITIZEN・Casio、ミヨタ・ミナセなど数多く時計産業に参戦し素晴らしい時計作りに貢献してきました。

各国時計産業に中でスイスに次ぐ有名な時計産業の1つとされるドイツに着目していき、どんな卓越した技術や審美性なのかを見ていきましょう

 

スイスに次ぐ機械式時計のドイツ2大産地


大きくいうと、ドイツの時計メーカーは二つの地域に分かれて存在してきた。

ひとつは、チェコに近いエルツ山脈にあるグラスヒュッテ。

もうひとつはスイスに近いシュヴァルツヴァルト地方。

歴史の古さを言えば、旧西ドイツ・ヴァルツヴァルト地方である。

旧西ドイツ・ヴァルツヴァルト地方

写真参照⇒ウィキペディア


ライン川の上流にあるこの地域は、黒い森(ブラックフォレスト)という名称の通り、一帯を森で覆われている。この地域に自生する木を使ってシュヴァルツヴァルトの人々は昔から木製のクロックを製造してきたのだ。なかでも有名なのは、1時間ごとに鳩が飛び出して時間を知らせる、鳩時計である。(カッコウが泣く音で知らせる、日本で言うからくり時計)

原材料である木に恵まれ、またライン川を通して世界に製品を輸出できたシュヴァルツヴァルトに古くから時計産業が栄えたのは当然だろう。

その長い歴史を証しするように、1852年にはおそらく世界で初の時計博物館が設立されている。対して、クロックではなくウオッチの製造で成功を収めたのがチェコスロバキア社会主義共和国の国境近くにあるグラスヒュッテ。

その起こりはシュヴァルツヴァルトより遅い19世紀半ばのこと。ドレスデンの時計職人であったフェルナンド・アドルフ・ランゲが、いわゆる失業対策として、グラスヒュッテに時計メーカーを作ったことが始まりである。

時計産業が興る前、グラスヒュッテの街は銀鉱山の採掘で潤っていた。銀が枯渇したためグラスヒュッテは没落してしまうが工具作りのノウハウを時計作りに転用することは難しくなかった。またグラスヒュッテ近郊の大都市ドレスデンはドイツ東部における文化の中心地であった。こういう歴史的・地理的な条件が、この地域の人々を持ち運びが容易で精密なウオッチの製造に駆り立てた。

木製のクロックを中心に発展した西側と、金属製のウオッチを中心に発展した東側。成り立ちの違いは、それぞれの時計にも色濃く反映されている。シュヴァルツヴァルト地方のメーカーはいち早くクロックの大量生産に成功しそのノウハウを転用することでウオッチの量産化に成功した。対して相対的に手作りを謳い文句にしてきたのが、グラスヒュッテである。

 

GLASHÜTTE (グラスヒュッテ)


ザクセン流時計づくりを貫く ドイツ時計産業の聖地

かつて銀鉱山で栄えた“グラスヒュッテ” こんな山あいの小さな街にドイツ時計産業の歴史が凝縮されている

現在でのザクセン州Googleマップ クリックして確認して頂けます→ドイツ ザクセンの街並み

ノモス・グラスヒュッテの様子

ノモス・グラスヒュッテの様子2点

過去と現在のノモス・グラスヒュッテの様子

上記写真2点公式HP参照→ノモス・グラスヒュッテ

ノモス・グラスヒュッテは1906年、ドイツのグラスヒュッテにてグイド・ミュラー(Guido Müller)が

創業した時計メーカーで非常にシンプル且つ実用性が高い名作。

 

古都ドレスデン


旧東独の古都ドレスデンとは、日本で例えるなら、東北地方の仙台を思わせる古都だ。ここから車で下ること1時間。エルツ山脈に囲まれた小さな谷に、グラスヒュッテという街がある。人口2000人足らず、歩けば10分で回り終わってしまう小さな街がドイツ時計産業の一大中心地のひとつである。

この小さな街が時計産業揺籃(ようらん)の地になった理由は三つある。

時計を消費する大都市のそばにあり、小規模ながら工業の歴史があったこと、そして人に恵まれていたことである。

グラスヒュッテに時計産業を興したのが、フェルディナント・アドルフ・ランゲ(1815~1875年)である。

 

フェルディナンド・アドルフ・ランゲ

LANGE&SONE 写真公式HP参照

フェルディナンド・アドルフ・ランゲ


しかし、彼に先立つこと2世紀、この地域には精密な時計作りを実現できる素地があったことを忘れてはならない。ドレスデンやグラスヒュッテは、ドイツのザクセンという地域にある。中世以降、第1次大戦後まで、この地域を支配していたヴェッティン家は一時期、東ヨーロッパに君臨したハプスブルグ家に肩を並べるほどの勢力を誇った。そしてヴェッティンの歴代侯王は、その富を工芸品だけでなく、実用品の収集にも費やした。

王家の趣味は様々な工業の発展を促し、多くの技術者を生むに至った。才能のあったランゲは、早くから宮廷時計師になるとみなされていたが彼はこの地域に自身の時計会社を作るという希望を明確に持っていた。

 

宮廷時計師アドルフ・ランゲ


1843年6月25日、ランゲはザクセン政府に対して、時計メーカー設立に関する要望書を送っている。「エルツ山脈(グラスヒュッテのことである)の貧困に苦しむ住民たちに雇用の機会を与えるべく、新しい会社を興すという私の考えを開陳したく存じますという書き出しで始まる自筆の要望書は、ランゲがどういう狙いで時計メーカーを作りたかったのかを明らかにする。

この時期、グラスヒュッテの鉱山は枯れ、住民たちは貧困に苦しんでいた。ザクセン政府の反応は芳しくなかったが、何度も嘆願書を送った結果、1845年5月21日、ザクセン政府はアドルフ・A・ランゲ&ゾーネと契約を結んだ。

曰く「政府は6700ターラーをアドルフ・ランゲに払い、彼は15人の若者を雇用して時計を製造る」。もっとも、鉱山で潤ったグラスヒュッテには、ささやかながらも手工業の歴史があり、

かなり精密な道具を自製していた。

ランゲはエルツ山脈のなかでも、あえてグラスヒュッテに時計メーカーを作ろうと考えたのである。スイスで近代的な時計製造方法を学んだ彼は、現地で採用した弟子たちに独立を促すことで、何もなかったグラスヒュッテの街を、わずか10年足らずで時計産業の中心地に変貌をさせることに成功した。

 

近代的な時計製造


1845年以降、急激に発展したグラスヒュッテの時計産業。しかし、名声のわりに、その規模は大きなものではなかった。そこにビジネスチャンスを見いだしたのが、ヨハネス・デュルシュタインである。

彼はグラスヒュッテ銘で安価な時計を作るというビジネスに着目、後にはランゲでさえもこのアイディアに従った。もっとも、安価な時計を作るという取り組みは、グラスヒュッテに定着しなかった。おそらくは雇用をもたらすという成り立ちがあったためかグラスヒュッテの時計産業はスイスほどの機械化を進められなかった。

もちろん例外はある。

それが1918年に創業された〝ドイツ精密時計会社グラスヒュッテ(略称DPUG)〟だ。ランゲ出身のユーゴ・ミュラーはスイスも顔負けの最新の設備を導入することで、グラスヒュッテの近代化を図ろうとしたのである。

 

世界大戦後のドイツ


第1次大戦後のハイパーインフレはDPUGの経営に大きな打撃を与えた。加えて24年にはスイス時計への輸入関税が廃止され、スイス製の安価な時計がドイツに流入するようになった。グラスヒュッテの時計産業を工業化しようというミュラーの試みは、翌年の6月25日に終わりを告げた。

もっとも、当時の政府はグラスヒュッテの時計産業を近代化することに無関心ではなかった。

ザクセン中央銀行は倒産したDPUGを〝ドイツムーヴメント製造会社グラスヒュッテ(通称UROFA)〟と、〝グラスヒュッテ時計会社(通称UFAG)〟に分離したうえで存続させたのである。近代的な設備をもって、スイスの時計産業に抗しようとしたDPUG。その設備と野心は、そっくりUROFAとUFAGに引き継がれたのである。

グラスヒュッテに時計産業をもたらしたアドルフ・ランゲ。後に貴族に推されるが固辞したアドルフ・ランゲが初めて工房を構えた建物(現存)。最初の職員は15人であったと伝えられるグラスヒュッテの紋章。上は鉱山を表すハンマー、下は時計を表す日時計であるグラスヒュッテの象徴が天文台。現在はヴェンペが所有している。写真は1910年代のものグートケス&ランゲの注文台帳。1889年にはドイツ皇帝も国家の寄贈品としてランゲの時計を発注したグラスヒュッテの中心部にある、グラスヒュッテ・ドイツ時計博物館。かつてのグラスヒュッテ時計学校校舎を転用したものである技術水準を大きく向上させた時計師のモリッツ・グロスマン。後に時計学校の校長を務めた極めて優秀な時計師だ。

リッツ・グロスマン

写真引用公式HP参照⇒モリッツ・グロスマン

第2次大戦の勃発での影響


第2次大戦の勃発に伴い、UROFA/UFAGはドイツ軍の指定工場に認定。同社はUROFA 59という優れたクロノグラフを最盛期は月1200本も量産したが、 爆撃を受けた工場は荒廃してしまった。手作業からの脱却に成功するかのように思われた、グラスヒュッテの時計産業。しかしドイツの敗戦に伴い、その試みは灰燼(かいじん)と期してしまったのである。

グラスヒュッテの時計生産は1946年の1月にどうにか再開されたが、49年に東ドイツが成立すると、UROFA/UFAGを含むグラスヒュッテの主立った時計メーカーは段階的に国営企業の〝グラスヒュッテ時計企業(通称GUB)〟に統合されてしまう。皮肉にもグラスヒュッテの工業化は旧GUBでようやく実現したが、 1970年代に入ると、技術的な遅れは否めなかった。

変化が訪れたのは、1989年のことである。

立役者となったのはスイスの時計産業で成功を収めたドイツ人ギュンター・ブリュームラインである。

ランゲ&ゾーネ

ランゲ&ゾーネ公式HP参照⇒ランゲ&ゾーネ

写真の左が孫にあたるウォルター・ランゲ氏 右がギュンター・ブリュームライン氏である。


彼はドイツの再統一に先駆けて、亡命していたA.ランゲ&ゾーネの創業家ウォルター・ランゲとコンタクトを取っていた。東ドイツ崩壊の合間をぬって、ブリュームラインとウォルター・ランゲはランゲ時計株式会社をグラスヒュッテに設立。1994年には新生A.ランゲ&ゾーネをスタートさせたのである。

かつて国営企業であったGUBも、ドイツ統一の余波を受けて、1994年に民営化された。以降のGUBは、自動的な生産設備と伝統的な手作業に折り合いを付けつつ生産体制を整えるようになった。同社は2000年にリシュモングループに参加。いまではA.ランゲ&ゾーネ同様、グラスヒュッテを代表する高級時計メーカーとして知られるようになった。

 

A.ランゲ&ゾーネの軍用時計


非常にめずらしい話だがA.ランゲ&ゾーネの軍用時計を製作していたことは、アジア圏内ではあまり知られていないだろう。大戦後グラスヒュッテの工作機械はほとんどソ連に持ち出され、これは接収の様子を再現したものグラスヒュッテに時計産業を再興したLMH総帥のギュンター・ブリュームライン。A.ランゲ&ゾーネ復興に取り組んだUROFA/UFAGの社長を務めたクルツ博士と、彼の手がけた名キャリバーUROFAエルンスト会社成立直後のGUBウオッチ。搭載するのはUROFA製のムーヴメントである。探している愛好家は多い国営化され、GUBに吸収合併される直前のランゲウオッチ


ドイツ空軍用に制作されたパイロットウォッチ

写真引用⇒パワーウォッチ

 

ドイツ空軍用に制作されたパイロットウォッチ

 

 

 

 

 


 

時計老舗メーカーユンハンス。創業から1920年で、ユンハンスはこの地域最大のクロックメーカーへと成長を遂げケースの作りは明らかにシュヴァルツヴァルト時計の影響を受けている。

しかし、長いスパンで見た場合、軍需産業に転換したことも、戦争の被害を受けなかったことも、シュヴァルツヴァルトの時計産業を救済したわけではなかった。2度の大戦により、シュヴァルツヴァルトのクロックメーカーは広大なアメリカ市場を完全に失ってしまった。ハンハルトやストーヴァは戦後補償として時計をフランス政府に納入。残ったメーカーも、再びスイスメーカーとの競争にさらされることになったのである。

とはいえ、西ドイツ経済の成長は、シュヴァルツヴァルト地方の時計産業をどうにか延命させた。経済成長に伴って時計の需要が回復するとこれらのメーカーは表面上の繁栄を回復したのである。少なくとも1950年代の半ば、ラコとドゥローヴェは1400名の従業員を雇用し月に8万個のムーヴメントを製造していたといわれる。また56年のユンハンスはクロノメーターを年に1万本製造。クロノメーターの生産数としてはロレックス、オメガに続いて世界第3位であった。

しかし、シュヴァルツヴァルト地方の退潮は覆うべくもなかった。1956年、ユンハンス家は会社をカール・ディールに売却。1959年にはラコとドゥローヴェがタイメックスに買収された(1965年にはスイスのETAに再売却)1963年には、ユンハンスは自社製ムーヴメントをETAベースに変更。ハンハルトも、事実上腕時計の製造を中止してしまった。

ではシュヴァルツヴァルトの時計産業はついに消滅してしまったのか。そうではなかったのである。ユンハンスとともに育ったサプライヤーたちは、業種変換を果たすことで50年代以降も生き延びた。そして彼らは機械式時計のブームに伴い時計産業に回帰した。しかも彼らサプライヤーは、この地方の時計産業に受けた恩義を決して忘れてはいなかった。いまやシュヴァルツヴァルトの時計産業の復活を支えるのは、こういったメーカーたちである。

世界的な成功を収めたがゆえに、政治経済のうねりに翻弄されてきたシュヴァルツヴァルト地方の時計産業。

しかし、一時期世界最大となったその底力は、決して侮れない。ユンハンスを筆頭とする各メーカーの動きを見ると、遠からぬうちに、シュヴァルツヴァルトはかつての名声を取り戻すに違いない。第2次世界大戦中にドイツ空軍で用いられたのが、通称B-Uhr。ラコは大戦期を通じて、直径55mmもあるこの航空時計を生産し続けた。これは海軍用の懐中時計や、パイロットウオッチなどに使用された、22リーニュ径の手巻きムーヴメント。製作したのは、ラコのエボーシュメーカーであるドゥローヴェ ユンハンスはドイツ初のクォーツ“アストロクォーツ”をリリース。

そのクォーツ技術をもってミュンヘンオリンピック(1972年)の公式計時を担当したユンハンス初の電磁テンプ搭載機がダトクロン(1967年)。ユンハンスの電気時計“ATOクロック”の理論を応用したものである。

下記の写真はユンハンス現行モデルの代表作

ユンハンス現行モデルの代表作

写真引用ユンハンス公式HP⇒ユンハンス オートマティック

 

ドイツ時計産業におけるスイス製エボーシュの影響力


ドイツは先の大戦から混沌とした世界で真摯に時計産業を守ってきた背景が伺える。決してクォーツ時計だけを作らず、本物志向かつ伝統的な機械式時計を作り続けている。スイス製エボーシュはドイツ時計産業に現在でも多大な影響力がありまた発展に繋がり貢献している。

ETA2892-A2 ETA7750 ETA7751など複雑かつ凡庸性が高い優れたムーブメントを供給している。2010年 2020年とETA問題が浮上したがスォッチグループの譲歩により契約台数を確保しているメーカーは多いだろう。

今後ETAエボーシュの恩恵を受けるメーカーは数が減りつつあると感じる自社開発ムーブメントの競争力が市場に影響を及ぼす可能性はありそうだ。今後共にスイス製時計だけでなく国内・ヨーロッパ各地の時計メーカーの視野を広げ着目していくと非常に面白いと思う。

 

筆者憧れのランゲ&ゾーネは唯一パテックフィリップに匹敵するブランド価値と感じる。なにより美しく審美性を兼ね備え、最高の技術力が素晴らしく秀逸品揃いだ!今後はスイスの時計だけでなくドイツの素晴らしい時計に着目する事をおススメする。

 

ちなみに筆者憧れ時計はこちら↓

ランゲ&ゾーネ リヒャルトランゲ 手巻き型機械式時計

ランゲ&ゾーネ リヒャルトランゲ 手巻き型機械式時計

型番 Ref: 232.032

写真公式HP引用→ランゲ&ゾーネ

 

グラスヒュッテの時計メーカー


グラスヒュッテの時計メーカー

写真引用⇒パワーウォッチ

グラスヒュッテの時計メーカーで7社は日本で取り扱いがりますが一部は正規販売店一部は並行輸入品扱いで販売されている物も存在しますのでご注意ください。。中古市場では比較的に手に入り易い商品もありますので各ECモールをご覧頂く事をおススメしています。

最後に


如何でしたでしょうか?ドイツは戦前から戦後まで厳しい状況下でありながら頑なに時計作りの伝統を守りつつ、躍進してきました。

ナチスドイツ→東西分裂→東ドイツ・グラスヒュッテで産業→1989年代ベルリン壁崩壊 現在では倒産寸前だった時計メーカーも一流企業の仲間入りを果たし世界的に時計ファンを魅了しています。

次回は日本の時計についてご紹介したいと思いますので乞うご期待下さい。

 

ネット販売について


今回ご紹介したドイツ製時計はOKURA各店でランゲ&ゾーネを取り扱っています。楽天市場やヤフーショッピングでご確認頂けます。

OKURA 銀座本店 楽天市場  ランゲ1シリーズ唯一の自動巻き 希少性高い商品
ランゲ1 デイマティック

OKURA 福岡天神店 楽天市場  サクソニアシリーズで非常に珍しいブルーを使用した文字盤

サクソニア コッパブルー

OKURA 新宿東口店 楽天市場  時表の正確性を追求した1815シリーズの傑作

1815 アップダウン

 

OKURA 全店買取について


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投稿者プロフィール

松島 正明 なんば戎橋店アシスタントマネージャー
高校卒業後、建築関連会社に入社し、歴史的建造物の屋根修膳などに携わる。
その後時計の正規販売店でブライトリング・IWC・ブランパン・オメガを担当したのち、OKURAへ入社。
得意ブランドはブライトリング、オメガ、パテックフィリップ、ランゲ&ゾーネ、ヴァシェロン・コンスタンタンなど時計に関して多岐にわたる
OKURA(おお蔵)は
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